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ウィキペディア日本語版 - AdWiki - Twoja encyklopedia


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    ウィキペディア日本語版

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    ウィキペディア日本語版
    ウィキペディア日本語版のロゴ
    ウィキペディア日本語版のロゴ
    URL
    http://ja.wikipedia.org/
    タイプ オンライン百科事典
    分野 限定なし
    使用言語 日本語
    項目数 550,584記事
    閲覧 無料
    登録 一般的に不要。
    投票などでは必要。
    著作権 GFDL
    運営元 ウィキメディア財団
    資金 寄付[1]
    営利性 非営利
    設立 2001年5月20日
    現代表 フロランス・ドゥヴアール
    執筆者 不特定多数の匿名の執筆者
    編集委員 なし
    査読制度 なし
    現状 記事数増加中[2]
      

    ウィキペディア日本語版(ウィキペディアにほんごばん)は、ウィキメディア財団が運営する多言語オンライン百科事典プロジェクト「ウィキペディア」の日本語版である。

    目次


    概要

    ウィキペディア日本語版は2001年5月頃に発足したが、当初は編集者も少数でコンテンツもほとんどなく[要出典]、全く認知されなかった。認知され始めたのは、2003年から2004年にかけてであり、いくつかのマスメディアで取り上げられたことがきっかけとなった。漫画アニメトリビア的な記事など、日本語版ならではの記事が急増したのもこの頃である。

    2005年以降はWeb 2.0ブームの一翼として大手マスコミにも取り上げられるようになり、インターネットに接する一般市民にも認知されていった。現在では、Googleなどを初めとする検索サイトで記事が上位に表示されることもあって、認知度や閲覧数も高い。一方で記事の内容やサイトの運営などに関し、様々な課題がある。

    活動の規模

    記事数では英語版ドイツ語版フランス語版ポーランド語版に次いで5番目に大きなウィキペディアであり、2008年6月25日には、50万項目を達成した。インド・ヨーロッパ語族に属さない言語のウィキペディアとしては最大であり、またラテン文字を主に用いない言語のウィキペディアとしても最大である。

    主な特徴

    他の言語版に比べた特徴を述べる。

    規模
    記事数で比較すると、最大の英語版の約5分の1の記事数である。
    コンテンツ
    漫画アニメゲーム鉄道等、趣味サブカルチャーなどの分野の記事が充実している。
    法的制限
    日本の著作権法は、アメリカ以外の多くの国と同様に著作権の効力が及ばない範囲を個別に定めており、ウィキペディア日本語版では個別に定められた範囲外で著作権のある画像を使用することが禁止されている。このため、英語版ウィキペディアでは、包括的にフェアユースを認める米国法に基づいて画像が使われているのに、日本語版には一切無いという現象がよく見られる。
    言語版毎のIP利用者(青)とログイン利用者(赤)の編集回数の比率。日本語版は(ja)。2007年12月調べ。
    参加者
    ログインしない利用者(IPユーザー)による編集が多い。割合は編集回数の約40%である。(他言語版は15%から20%、右グラフ参照)
    記事新設数/編集回数
    1日あたりの記事新設数は、日本語版設置後順調に伸び続けたが、2007年3月の472件をピークに減少傾向にあり、2008年5月現在の1日あたりの記事新設数はピーク時と比較して48%減の245件にとどまる[3]。2007年12月から2008年5月までの6ヶ月間で記事新設数が前月を1度も上回らなかったのは、上位10言語版の中では日本語版だけである[4](記事の多さから統計が追いつかない英語版とドイツ語版を除く。エーリッヒ・ザクテは内部リンクの数により順位を決めている)。一方で、1ヶ月間に5回以上編集した利用者は2007年1月以降4,000名から5,000名の間で推移しており、月に100回以上編集した利用者も概ね500名程度で推移している[3]。1ヶ月あたりの総編集回数も約45万回から約53万回の間であり[3]、継続的な増減は見られない。これらのことから、利用者の投稿が記事数を増やすことから現存の記事の強化へと移行していると言える。
    連携
    言語間リンクが同規模の他言語版に比べると、少ない[5]。2008年10月20日現在の記事のダンプデータによると、言語間リンクをひとつも有しない記事は約28万件あり、当時の総記事数約51万件[6]の半数以上にのぼる[7]。これは、日本特有の事象を挙げた記事が多いのもひとつの要因である。また、日本語がラテン文字を使わない言語であるために他言語版の執筆者が日本語版の記事名及び記事本体をまったく読めず、他プロジェクトからの支援を受けにくいという事情もある。
    運営
    日本語版は国内に活動主体を持たない。他言語版では上位10のうち7言語版は地方支部をもつ。(ウィキメディア財団#地方支部)

    課題

    コンテンツ上の課題

    信頼性

    量でこそ一般の百科事典を上回るが、学者らにより執筆される書籍の百科事典と比較して内容の権威・信用性・現状適合性に疑問を抱く者もいる[8]。 しかし“内容無保証”、“常に執筆中・完結未定”はウィキペディアの宿命である。 一部には「主要項目を網羅・充実させよう」という動きがあるものの、まだ本格化していない。

    出典を明記した記事が非常に少なく、2008年10月20日時点の記事のダンプデータによると、<ref> タグを用いたインライン形式の出典(脚注)を設けた記事は45,676件である[9]。これは、当時の総記事数511,877件[6]の8.9%である。脚注を補足説明に使っている記事もあるため、出典が明記されている記事はこの数よりも若干少ないと考えられる。参考文献が示されている記事もあるが、記事のどの部分がその文献からの情報によるものかはっきりしないことがある。ウィキペディアが掲げている三大方針のうちの検証可能性を満たしている可能性があり、かつ出典がどの部分に対応するのか明らかになっている記事は、データの解析の上では全体の1割程度である。

    なお、IT企業のアイシェアが2007年11月に行なったアンケート調査では、「ウィキペディアの内容を信用するか」という設問に対し「信用する」と回答した人は4割弱(39.4パーセント)に留まり、6割以上の人はあまり信用していない事が分かっている[10]。信用されない理由としては「内容が改変出来る」が40パーセント、「中立的な立場ではないと思える」が38パーセント、「調査機関が関わっていない」が9.8パーセントとなっている。

    宣伝投稿

    ウィキペディアの知名度を利用しようと、個人や企業、団体が自身に都合のよい宣伝をしたり、プロパガンダに用いて不都合な記述を削除・加筆することがある[11][12]

    プライバシー侵害や名誉棄損の投稿

    芸能人や著名人の本人や家族、親類に関する非公開の個人情報不祥事などを書き込んだり、一般人のものと思しき氏名や住所などの個人情報や悪口を書き込むなど、他者のプライバシーを侵害する投稿がなされることがある[13]

    こうした傾向は対外的なものであるとは限らず、ウィキペディアの利用者が他の利用者の実名やそれに類するものの記載をし、その結果、無期限の投稿ブロックを受けるといった事態も発生している。

    また、刑事事件の関係者の実名やプライバシーが書き込まれることも多い。英語版などでは問題とされていないが、日本語版では日本法との兼ね合いからほとんどの場合削除となる。

    存命中の人物や活動中の組織に対する誹謗中傷に類する加筆に対し、項目本人・当該団体から訂正の申し入れが、該当ページのノートやWikipedia:連絡先にたびたび寄せられるようにもなった。書き手は正義の告発を意図していると見られる場合もあるが、日本においてはたとえ事実であっても社会一般に広くに認識されていること以外は名誉毀損とされるおそれがあり訴訟リスクが高いため、対応に苦慮することになる。

    また、申し入れをせず本人やその関係者が問題の記述を削除することで、掲載すべき情報なのに、自身に不都合という理由で削除するのは不当だとの一般利用者の反発を呼び、トラブルになるケースも見られる。例として、アスキー創業者で元社長の西和彦は、自らについてデタラメな記述をされたとして、自ら大量削除を行ない、ウィキペディア批判の急先鋒と化し、「2ちゃんねるもウィキペディアも同じようなもの」と発言[14]。 またコラムの内容を批判された産経新聞論説委員古森義久も自分のブログで、「“まとも派”を攻撃する左翼のフォーラム」、「おかしな人がおかしな記事に書き換えている」と酷評している。作家コメンテーター北芝健も、ウィキペディアに書かれていた偽情報のために経歴詐称疑惑を受けたと不満を述べている。脳科学茂木健一郎も、自分の記事に関連して、他人の意見を引用する形で、ウィキペディアを批判している[15]

    運営上の課題

    編集合戦・記事の保護

    複数の利用者が、特定の記述をめぐり、記述する内容や記述すること自体の可否を争い、お互いに自身のよしとする編集に何度も差し戻すという編集合戦と呼ばれる事態がしばしば起こる。こうした編集合戦を止め、話し合いによる解決のために管理者により記事の編集ができない保護という処置が取られるが、合意になかなか至れず、記事が長期に渡り編集できない状態になってしまうことがある。他の言語にくらべて、保護、半保護とされている項目の比率が高い。

    また、分野によっては非常に細かな内容まで記されている分野もあるが、逆にまったく未執筆の分野も多い。また、編集合戦にまで至らないものの、書籍としての百科事典の概念にどれだけ忠実であるべきか、新しいウェブサイト上の百科事典の可能性をどのように追求するべきか、などについての論争が感情的な対立を起こすこともある。

    「百科事典」として当然書かれるべき事・外部のそれなりに権威あるウェブサイトで既知の事実さえ、保護により記述出来なくなっている項目もあり、その“内容の偏向ぶり”を指摘する声が上がっている[16]

    荒らし

    記事の内容にまったく関係ない投稿や、記述をするなどのいたずらなどの行為も増えている。これに対してはIPユーザーによるものが多いため、ログインした利用者のみが編集できる「半保護」という処置が取られることが多い。

    オープンプロキシと署名の問題

    オープンプロキシを使わない、ノートへの発言にはアカウントまたはIPアドレスで署名をする、といったことがマナーとされている。が、この点は、基本的に「名無しさん」という形での匿名投稿が基本文化である2ちゃんねるとの乖離が大きいため、IP署名をしない、IPを隠すため公開プロキシを使用する、自分の主張に反する記述を変えたいがために“捨てアカウント”で一回だけログイン・編集し以後は放置するといったことが度々ある。

    嫌がらせなど

    日本語版は知名度が上がって利用者数が多くなった反面、嫌がらせを受けることも多くなった。個人サイトや2ちゃんねる、ユアペディアなどの外部サイトで、ウィキペディアの利用者を名指しする誹謗中傷が(サイトによっては頻繁に)書き込まれることがある。 また、削除依頼や投稿ブロック依頼、管理者の解任における投票でIRCや外部掲示板を利用し、組織票をまとめて投票結果を操作しようとする者が現れている。

    犯罪予告

    爆破予告や殺傷予告など、犯罪予告に類する書き込みも少なくない。このような書き込みがなされた場合も、削除の手続きが行われる。

    プロジェクトの運営形態

    この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています


    歴史

    Wikipedia:発表にも足跡が残されています。

    発足当時

    発足当時の日本語版。[3]

    英語版をベースに始まったウィキペディアが多言語化に乗り出したのは2001年の5月頃である[17]。2001年5月20日に日本語版を含む13の非英語版サイトが発足した[18]

    発足当初のURLには http://ja.wikipedia.com/ と http://nihongo.wikipedia.com/ が使われていた形跡がある。

    当初のメインページは irasshaimase! で始まる全文ローマ字だった[4]。残されている履歴情報から、3月から4月にかけて既に数度の編集を経ていることがわかる[5]。このため、英語版内部などで開発された可能性も考えられる。

    最初の項目は 「日本語の音素論」という意味だと思われるNihongo No Funimekusu と題されたもので、日本語の音素(英: Phonemics → Funimekusu)が仮名と必ずしも一対一対応の関係にないことを示した記事だが、これもローマ字で書かれていた。投稿者は RoseParks(英語版の初期メンバーの一人)で、投稿時期は4月初め頃の間、つまりウェブサイトがテスト段階にあった頃と思われる[19]

    12月下旬時点での総ページ数は、2ページに留まった。 その当時使われていたウィキソフトは日本語に対応していなかったので、記事はローマ字表記で書かれ、項目も23個くらいであった[20]

    日本語化

    2002年9月1日に従来のウィキソフトが改良され、日本語に対応できるようになる[20]。日本人の利用者が徐々に集まり、記事が充実してゆく。この時期のファイルは現在の日本語版の履歴からも遡れる。国の一覧エスペラントの最古版[6][7]などから見て取れるように、日本語のネイティブスピーカーではない利用者の投稿による項目も多かった。主な分野は日本文化・言語・世界地理・プログラミング関連。

    同月の内にインターフェースの日本語訳が始まり、年末の時点でWikipedia:編集の仕方(正確にはその前身にあたるWikipedia:How does one edit a page)やGNU FDLが訳された。

    12月中旬の時点で登録利用者数は10人程度、総項目数は10件程度であった。

    参加者の急激な増加

    2003年初頭、インターネットの大きな日本語サイトで相次いでウィキペディアが取り上げられた。これにより数次の急激な利用者増が起こり、ウィキペディア日本語版は、他の言語のウィキペディアにもなかった急激な成長を見せることとなる。

    Wired News 日本語版での掲載

    2003年1月31日Wired News 日本語版でウィキペディア(英語版)についての記事が掲載された[8]。これはウィキペディアが日本のマスメディアで紹介された最初の例であると思われる。

    これを境に多数の参加者を迎え、Wikipedia:名前空間Wikipedia:ウィキペディアへようこそWikipedia:基本方針とガイドラインなどプロジェクト関連の文書が本格的に翻訳または作成された。

    漫画家都道府県など、項目数が増えた。証券取引などをめぐる本格的な項目も出現した。

    スラッシュドット現象

    2003年2月12日にウィキペディア日本語版は1,000ページを達成した。奇しくも英語版が2年前の同じ日に1,000ページを達成している。

    1000ページ達成を受け、コンピュータ関係の有名電子掲示板であるスラッシュドットジャパンにウィキペディア日本語版が紹介された[9]。これにより、この数日後参加者は倍増することとなり、日本においてもウィキペディアにおいてスラッシュドット現象が発生した。

    この結果、様々な分野の項目が増加した。主なものとして、物理学生物学情報工学文学音楽ゲーム漫画タレント関連などが挙げられる。

    また、いわゆるサブカルチャーおたく(殊にアニメ鉄道)関連の分野の執筆者が多いのも日本語版の大きな特徴であるが、それは、この「スラッシュドット現象」から始まったともいえる。

    さらなる成長

    ウィキペディアは数度のサーバ故障によるサイトダウンを経験している。2003年4月5日18時08分から4月6日17時37分(いずれも日本時間)の間、ウィキペディアのサーバが故障し、書き込みができなくなった。サーバダウンは後に、2003年12月・2004年6月、および2005年2月にも起こっている。

    しかし大勢においては、このような事故はウィキペディアの拡大には影響を及ぼしていない。10000項目を超えるころから、ウィキペディア日本語版はほぼ同じペースの成長率で項目を増大させて行き、数ある小さなプロジェクトのひとつから、ウィキペディアプロジェクト有数の規模を誇る代表的なプロジェクトへと発展していった。

    大規模DBクラッシュ

    2003年12月、ウィキペディアを提供していた3台のサーバが故障した。このため数日全言語及び各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。利用者の一部は寄付を行ってサーバ購入費用を提供した。

    2004年6月7日未明、ウィキペディアなどのデータベースサーバーが故障し、翌日12時前まで全言語及び各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。このクラッシュの直前のごく一部の編集だけが失われた状態で復活している。

    2005年2月22日の日本時間7時15分、データセンターの内部で停電が起こり、全言語版が停止した。当日中に読み出し専用状態に回復したものの、書き込みが可能となったのは翌23日の日本時間7時25分頃だった。

    成長の軌跡

    2003年3月23日にはウィキペディア日本語版の項目数は5,000項目を達成し、さらに6月15日には10,000項目を達成した。1,000項目から10,000項目までの増加に要した日数は4ヶ月と3日間であり、これは英語版よりも早いペースであった。2003年の間に項目数は72項目から24,242項目へと約337倍に増加した。2003年12月にはウィキペディア日本語版の項目数がフランス語版ウィキペディアを抜き、英語版ドイツ語版に次いで全言語版中3位になった。

    2004年5月26日2時21分頃には項目数が50,000を達成した。

    また9月29日11時3分(日本時間)頃には項目数が75,000を達成した。

    ある時期から、Yahoo! ニュース などからの リンクによる利用者が急増し、日本語版の特定の項目が多く参照される現象がしばしば観測されるようになる。これは英語を使用する開発者などからは、yahoo spike (ヤフーによる急激な利用者増加)などともいわれた。

    2004年末、ウィキペディア日本語版の登録者は、1万5千弱に達した。利用者は前年比600%を超えるなどと報道された。2004年中に項目数は24,242項目から92,181項目へと約3.80倍に増加した。

    2005年2月11日17時52分(日本時間)頃には項目数が10万を達成し、同年10月24日には項目数が15万を達成した。2005年中に項目数は92,181項目から168,874項目へと約83.2%増加した。しかし2005年7月には項目数がフランス語版に再び抜かれ4位になった。

    2006年4月9日には項目数が20万を達成8月28日には25万を達成し、12月15日には30万を達成した。2006年中に項目数は168,874項目から307,134項目へと約81.9%増加した。2006年1月には項目数がポーランド語版に抜かれ5位になった。

    2007年8月10日には項目数は40万を達成した。2007年中に記事数は307,134項目から452,023項目へと約47.2%増加した。2007年後半以降は、1ヶ月に1万項目程度のほぼ一定のペースで成長を続けていたが、2008年4月頃から増加率が鈍り始め、現在は1ヶ月に6千項目程度のペースで成長している。

    2008年6月25日には項目数が50万を達成した。

    外部からの反応・評価

    2003年 - 2004年

    2004年9月には、日本広告主協会からWeb クリエーション・アウォード特別賞を贈呈された。これは本来個人を対象とする賞であったため、日本語版の初期に活動していたフランス人利用者、ギヨーム・ブランシャー(利用者名Aoineko)が代表で賞を受け取った。

    2005年 - 2006年

    日本語版が15万項目のマイルストーンを超える前後から、「Web 2.0」の一翼としてウィキペディアが取材・紹介されることが増えた。特に、gooが「goo辞書」の一環に「goo Wikipedia記事検索」を組み込んだころから「Web 2.0」という文脈以外の「検索手段」としても認知が広がった。2006年8月に朝日新聞1-2面の特集コラムで詳しく紹介されたことも、ウィキペディアの名前を一般に広めることとなった。また、ウィキペディアをSEOに利用することを推奨するような部分がある記事がインプレスImpress Watchに掲載されたが、その後「不適切な記述」として推奨するような部分が削除された[21][22]

    利用者投票によってベストサイトを決めるイベント「Web of the Year 2005」では、ノミネートされた検索情報部門の上位18位にも入らず、話題賞でも12位であったが、翌年の「Web of the Year 2006」において、「年間総合大賞」、「ウェブ情報源部門賞」(1位)をダブル受賞し、内外の関係者を驚かせた。

    2007年 - 2008年

    2007年になるとウェブ上の情報源としていっそう広く認知され、「Web of the Year 2007」で前年に続き「年間総合大賞」、「知識・情報源部門賞」(1位)をダブル受賞したときにも大きな驚きは引き起こさなかった。

    こうしてウィキペディアも社会に市民権を得てきており、またインターネット社会の得失も一般に認知されるようになった。所詮ネットは信憑性のないただの噂だという捉え方と、自由表現と集合知の中に真実があるという意見とが揺れ動いている。

    2007年5月20日の読売新聞のコラム「方位計」(4頁、政治面) は憲法学者石川健治の紹介として石川健治の項目にある「現代憲法学の鬼才、20年に1人の逸材」を研究者間の評価として引用した。

    2008年7月13日には朝日新聞書評欄で、日本で初めてウィキペディアを正面から論じたとされる『ウィキペディアで何が起こっているのか』(山本まさき・吉田雄介著、九天社)が『情報化社会のプライバシー研究』(青柳武彦著、NTT出版)と同時に取り上げられた(評:小杉泰京都大学教授)。この中で『ウィキ~』は「信用できる実態はかなり危うい」という結論であると紹介されている。

    メディアウィキのアップグレード

    ウィキペディア日本語版を支えるソフトウェア、メディアウィキ (MediaWiki) は、ウィキペディア寄稿者のボランティアにより開発されており、これまでに数回のアップグレードを行っている。

    2004年5月28日22時38分頃、ウィキペディア日本語版のメディアウィキがバージョン1.3にアップグレードされ、それに伴い新しい外装(スキン)「MonoBook」が追加された。またデフォルトのスキン設定がそれまでの「標準」から「MonoBook」に変更された。このアップデートは5月28日から5月29日にかけて全言語版で行われた。

    メディアウィキ1.3には、項目を分類するカテゴリ機能が付与されていた。これは最初英語版などに導入され、日本語版ではすぐには導入されなかったが、2004年6月25日10時頃(日本時間)、日本語版でも使用可能となった。

    2004年12月に、メディアウィキ1.4がウィキメディア・プロジェクトに導入されはじめた。これにより削除された特定の版を復帰する機能や、画像表示のためのマークアップ言語の簡略化などの機能が提供されるようになった。

    脚注

    [ヘルプ]
    1. ^ 詳しくは寄付のページを参照のこと。
    2. ^ 新しいページでは、日本語版に投稿された新着記事の一覧を見ることが出来る。一時間に何本、というペースで新規記事が投稿されている。
    3. ^ a b c Erik Zachte. "ウィキペディア 多言語統計 - 日本語版". 2008年8月22日 閲覧。
    4. ^ Erik Zachte. "ウィキペディア 多言語統計 - 一日当りの記事新設数". 2008年8月22日 閲覧。
    5. ^ *統計ページ(言語間リンク)
    6. ^ a b 内部リンク、すなわち、 [[…]] のマークアップを含む記事をカウントした。
    7. ^ [[xx:…]]、[[xxx:…]] (xは任意の小文字アルファベット)及び [[ で始まる bat-smg, be-x-old, cbk-zam, fiu-vro, map-bms, nds-nl, roa-rup, roa-tara, simple, tokipona, zh-classical, zh-min-nan, zh-yue を一切含まない記事の件数をカウントした。正確には282,924件。検索に用いた正規表現は、\[\[([a-z]{2,3}|bat-smg|be-x-old|cbk-zam|fiu-vro|map-bms|nds-nl|roa-rup|roa-tara|simple|tokipona|zh-classical|zh-min-nan|zh-yue):.*?\]\]
    8. ^ ダニエル・テルディマン「拡大するフリー百科事典『ウィキペディア』の課題」 WIRED VISOIN 2005年1月13日付け
    9. ^ <ref のマークアップを含む記事をカウントした。括弧を閉じていないのは、name を使用しているものがあるため。
    10. ^ Wikipediaを「信用している」は4割未満、「知っているが参加経験なし」は9割以上にCNET Japan 2007年12月7日
    11. ^ 『「ウィキペディア」の不利益情報、楽天証券社内から削除』(『朝日新聞』 2006年8月30日付)
    12. ^ 『朝日新聞』 (2007-09-08). "ウィキペディア 省庁から修正次々 長妻議員の悪口も" (日本語). 2008年3月22日 閲覧。
    13. ^ 吉本敏洋 (2008-02-26). "あなたの個人情報、Wikiに書かれていませんか?" (日本語). 2008年3月9日 閲覧。
    14. ^ ウィキペディア編集方針 西和彦がモーレツ批判 (2006年11月30日 J-CAST)
    15. ^ 五十嵐茂さんからのコメント (2007年1月12日 茂木健一郎 クオリア日記)
    16. ^ Wikipedia日本語版の異常な偏向具合(悪徳商法?マニアックス)
    17. ^ Wikipedia:Announcements May 2001(英語)、2005年5月20日に Wikipedia-l に流れたメール Wikipedia-l happy birthday による。
    18. ^ International Wikipedia
    19. ^ この項目のミラーサイト[1]に保存されている。履歴情報は、[2]で見ることができる。
    20. ^ a b 【インタビュー】有志で取り組む「史上最大の百科事典」――Wikipedia日本語版の舞台裏 Wikipedia日本語版 管理者・ビューロクラット 今泉 誠氏日経パソコン online 2007年3月14日閲覧)
    21. ^ ページランクの高いサイトとリンクする方法 (2006年11月22日 Impress Watch)
    22. ^ 仕様上、実際にはウィキペディアからリンクしてもページランクは上がらない。

    関連項目

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